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清水 峰生の
平成峰生記タイトル

kakko1第11回 ハワイアンの将来について思うこと'02.4.10kakko2

の季節となった。
入学式があり、会社ならば新年度のスタートだ。新年といえば、昨年末にハワイアンの業界雑誌より今年の展望について新年号で寄稿して欲しいという依頼があった。僕はその時に「僕が書くと辛辣になるからおめでたい原稿にならないよ」と断った経緯がある。
僕がハワイアンの将来についてどう考えているか、この場で触れておきたいと思う。
hawaii photo
僕は日本のハワイアンの将来についてはあまりいい風には思っていない。
ウクレレやフラダンスがブームとなって追い風が吹いているのになぜといわれるかもしれない。

確かにウクレレやフラのイベントが大きなホールで行われたり、東京では「MXTV」でハワイアンの音楽番組が毎週放映(しかも再放送まである)されていて一見、ハワイアンは息を吹き返しているように見受けられる。若い人たちもウクレレブームでハワイアンに興味を持ってくれたりしている。

あるハワイアンのイベントに行った人からこんな話を聞いたことがある。「会場はそれなりに入っているんですが、フラダンスのステージへの拍手が登場するグループごとに会場の部分部分で起こるんですよ」
どうも全体で拍手が起こっていないように見受けられたという。
また、ハワイのアーティストが登場するまで、延々と日本のフラダンススタジオの先生と生徒の踊りが続いたそうで、「ハワイアンのコンサートというよりフラスタジオの発表会」という印象を受けたそうだ。

この話は日本のハワイアンの現状の一端を表しているように僕は感じている。
拍手が部分部分で起こるというのは、自分たちの先生や仲間を過度にひいきにして、他については興味がないということではないだろうか。全てがこんな感じだとは言わないが、ありえない話ではない。
そして、大きなホールでのハワイアンのイベントがフラのスタジオの発表会のようになってしまうのはフラのスタジオを動員しないと大きなホールで観客を見込めないという現状があるからだ。

ハワイアンは戦後すぐに一大ブームがあり、そのブームを実体験した人々が脈々とハワイアンを愛し続けていて、今もその人たちが核になっている。それは本当に素晴らしいことなのだが、ハワイアンや自分の好きなアーティスト・バンド・仲間を愛するがゆえに”自分たちだけのものにしておきたい”と囲いを作って「自分たちだけの小さな世界」を作っているように見受けられる。

「自分の好みのままでいい・昔のままでいい」そういう気持ちが日本のハワイアンの人たちにあるのではないだろうか。こういう状況だと、一時期のウクレレブームやフラブームがあってもそれを追い風にして大きなうねりを作り、ハワイアンが再び勃興するという事はありえない。なぜなら「自分たちの小さな世界」で満足しているからだ。

このあいだ、ウエスタン音楽の一大イベントが開催されるチラシを目にすることがあった。往年のウエスタンのアーティストが集まって、日本のウエスタンを盛り上げるお祭りをやりますというものだ。ある人の持ち歌を別の人がチャレンジをする。お祭りのために往年のアーティストらが特別のバンドを編成して、演奏と歌を披露する。ハワイアンからはこうしたお祭りをやろうという声は聞こえてこない。なぜ聞こえてこないかは・・・・察していただきたい。

日本のハワイアンは今後どうなるのか。僕の正直な意見はこのままならば、日本のあちこちでハワイアンの小さな世界が点在し、今まで通り変ることはない。それぞれの小さな世界が幕を引くことはあっても大きくなることはないだろう。
「ではお前はそういう状況を見ているだけで何もしないのか」と言われそうだが、僕は僕なりのやり方で、日本のハワイアンの行く末を考え、道筋を作っていくつもりでいる。それが僕のやるべきことになるだろう。

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