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清水 峰生の
平成峰生記タイトル

kakko1第22回 地上の星と天上の星 '07.2.18kakko2

2007年の1月21日(日)に「第1回ハワイアン新年会」(航空会館スエヒロ・港区・新橋)が開催されました。
これは、プロ・アマを問わずにハワイアン黄金期を楽しんだ演奏者と仲間の同窓会で、グループやバンドにとらわれず新年の顔合わせを行い、戦後のハワイアン復興に尽くした先達を始め、広くハワイアンを愛する人たちの集いとして企画されたものです。当日は、昨年末に体調を崩されて心配された溝口龍太郎氏(90)※もお元気な姿をみせてくださいました。

日本のハワイアン音楽が一世を風靡し、それから多くの年月を重ねてきているのですが、実は、こういったプロもアマも一同に介する会はこの新年会が始めてでした。
音楽活動に限りませんが、人が集まり、何かの目的に向って事を為す過程では、いろいろな人間関係や上下関係ができあがり、グループ・派閥みたいなものが形成されていきがちです。
しかし、「ハワイアンを愛している」そのシンプルな気持ちに立ち戻り、多くの方々にお集まりいただき、親睦できたことを本当に嬉しく思っています。この新年会が毎年開催されるよう発起人の一人として、協力を惜しまないつもりです。

大橋節夫メモリアルコンサートまた2月9日(金)には大橋節夫メモリアルコンサートがサントリーホールで開催されました。
大橋節夫さんは2006年6月に81歳でその生涯を閉じましたが、日本のハワイアン音楽のスターであり、昭和を代表する歌手であり、そして、傑出したスチールギター奏者でした。
コンサートでは、大橋節夫氏の数々の名曲を多数のミュージシャンが一同に会してパフォーマンスを行い、大橋氏の子息である大橋一夫さんが大橋節夫Jrとしてボーカルをとりました。実質的な大橋節夫Jrのプロデビューといえるでしょう。

また、演出としては、大橋節夫さん愛用のスチールギターがスポットライトを浴びて、登場。大橋節夫さんのスチールギターのパートのみを切り取った音源に出演者が生演奏を加えるといった趣向を凝らしたものが披露されました。
当日は客席より、このコンサートを拝見させてもらいましたが、大橋節夫氏の音楽のすばらしさとそのスター性を改めて認識させられました。

日本のハワイアン音楽は、今のメレフラやウクレレミュージックとは違う世界観に立ち、日本独自の軽音楽であったことは間違いありません。
大橋節夫さんというスターは本当に天上の星になってしまいましたが、地上には、このハワイアン音楽を愛する沢山の人たちが地上の星のごとく今もきらめているといえるでしょう。    
                                                   (了)

※溝口龍太郎氏
大正6年生まれ。灰田有紀彦・勝彦兄弟と共に日本のハワイアンの黄金時代を築いた。ニューモアナやワイキキ・セレナーダスといった人気のハワイアンバンドで活躍された。

※大橋 節夫氏
日本のハワイアン音楽の草分けといわれる昭和の大歌手、スチールギター奏者。
慶應義塾大学卒業後の1948年「大橋節夫とハニーアイランダース」を結成。後に石原裕次郎や五木ひろしがカバーした「倖せはここに」などがヒットし、日本にハワイアンブームをもたらした。加山雄三のヒット曲「お嫁においで」の編曲、ギター演奏を手がけたことでも知られる。1995年勲四等瑞宝章受章。2000年日本レコード大賞功労賞受賞。2006年6月7日死去。享年81。

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