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清水 峰生の
平成峰生記タイトル

kakko1第9回 「灰田忌」について'01.11.20kakko2

Haida memorial回は先月の10月14日に新宿のシャンソニエQui(き)で行った「灰田忌」についてお話したいと思います。

この「灰田忌」というイベントは”日本のハワイ音楽の父”である灰田有紀彦先生を偲んで、僕が発起人になって今年から始めたものです。

なぜ、このイベントを行うことにしたかというと、昨年、日本TVの番組である「午後は○○おもいッきりテレビ」のディレクターが僕のところに灰田先生について取材に来た事から始まります。

聞けば「おもいッきりテレビに”今日は何の日”というコーナーがあり、10月16日は灰田有紀彦氏の命日ということで灰田先生を取り上げたい」とのことでした
僕はこの若いディレクターの取材を受けて、非常に恥ずかしい思いにかられました。
と、いうのも一般のTV番組が灰田先生の命日について紹介するというのにハワイアンの業界の人間は、この日に灰田先生を偲ぶようなイベントをしていなかったからです。

灰田先生は日本のハワイ音楽の礎を築いた第一人者であり、我々、ハワイアンに関わる人間にとって大恩人であることは間違いありません。
なぜなら日本のハワイ音楽に関係する人間の殆どが、灰田先生のハワイ音楽界におけるスチール・ギター奏者、ウクレレ奏者、指導者、バンド・リーダー、作曲家の先駆者としての功績に影響されているからです。

僕らハワイアン音楽に関わる者は灰田先生の功績を忘れてはならないし、先生が培って下さった日本のハワイ音楽という土壌を枯らすことなく、引継いでいかなければなりません。

「灰田忌」は灰田先生の命日である10月16日から一番近い日曜日に開催することとし、今回は10月14日に行いました。
出席者は僕のライフワーク的な音楽活動である「虫干しハワイアン」(最近演奏されないハワイアンを主に行うライブ)の参加者や灰田先生にゆかりのある方々など、約40名程が集まりました。

「灰田忌」は灰田先生の楽曲に親しむ気軽なトーク&ライブイベントで、当日は、灰田先生の娘さんであられる並河佳代さんをお招きし、お父様の思い出話やエピソードも語っていただきました。(写真上参照)

この「灰田忌」を通じて、灰田先生の功績を改めて認識し、明日のハワイ音楽を推進していく新たな力を生み出すきっかけになればと思っています。


灰田有紀彦
1909年4月24日ホノルル生まれ。1928年にハワイアンバンドのモアナ・グリー・クラブを結成、戦後の1945年に弟の灰田勝彦とニュー・モアナを結成、日本でトップ・グループのひとつとなった。ハワイ音楽一筋に生き、「森の小径」「鈴懸の径」等のヒット曲を作曲。ウクレレ奏者としても知られ、日本ウクレレ協会(NUA)を1959年6月に創設、初代会長を務めた。ウクレレ・ソロにも着目し、その第一人者であったエディー・カマエと彼の弟子であったハーブ・オオタ両氏を日本に紹介する等、日本におけるウクレレの地位向上に多大な功績を残した。 1986年・10月16日に逝去。

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